
在日本只要是修行道場中的精進料理
絕對不會使用任何動物性的高湯
當然也就不會使用柴魚高湯
只不過是一般日本人普遍認為如果用這種高湯會比較鮮美
所以他們的高湯大部分都是用這種柴魚高湯
甚至有些有名的精進料理餐廳
也會因大眾的需求而使用這種高湯
但是也不能因為這樣就以偏概全
認為日本的精進料理根本不是素食的料理
這是非常偏頗的想法
這種情況就像有些台灣的餐廳
雖然有時候也會為消費者準備素食的餐點
但是他們搞不清素食定義的標準在哪里
所以才會做出那些不純淨的素食餐點
在日本大部分的消費者
有時候到廟�堨h會有機會接觸到所謂的精進料理
但是畢竟他們不是為了修行而吃這種料理
而是為了嘗鮮或者好奇心
在這個時候當然就不會去在意高湯是甚麼?
而餐廳為了迎合絕大多數的大眾口味
自然有時候會准備柴魚高湯
所以當你在日本的精進料理餐廳用餐的時候
可以特別請餐廳當你注意高湯上的問題
這樣就會讓你自己安心
精進料理的英文是Maigre dish
精進料理的規則基本上未用葷料
別在把日本精進料理污名化
http://www.tenzo.net/
以下是本精進料理得規則
這些資料是來自於日本的永平寺因為沒有時間把所有的文章翻譯出來
給那些懂日文的朋友幫幫忙吧!
精進料理のルール」とはいっても、絶対に守らなくてはいけない、という厳格な論拠があるわけではありません。
しかし、何事もまず初心者のうちは形から入るのが早道。私流の精進料理の最低限のルールは5つです。
ルール1 肉、魚、臭いの強い野菜は使わない
ルール2 素材の持ち味を生かす
ルール3 季節の物を彩りよく使う
ルール4 無駄を省く
ルール5 工夫が大事
○ルール1 肉、魚、臭いの強い野菜は使わない
まず大原則として、精進料理には肉、魚、は使いません。これは仏教の不殺生戒から来ています。
なお、お釈迦様の時代には、信者からの布施物であれば、いくつかの条件を満たしていれば肉や魚でも食べて良かったということです。要するに肉だろうが魚だろうが食べる側の心持ちが大事である、ということなのです。
しかし、禅宗の精進料理の中でも、鶏肉等の使用を認める宗派もありますが、曹洞宗の精進料理では肉や魚は使いません。
或いはネギやニラ、玉葱などの臭いの強い野菜も禁じられています。
古いお寺の山門にはたいてい「不許葷酒入山門」と書かれた石柱があります。
これは「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と読んで、要するに酒やニラ、ネギ等はお寺に入ってはいけない。という意味です。酒はもちろんのこと、ニラだのネギだのは、若い修行僧の禁欲に都合が悪い、という意味もあったようです。
はっきり言って、魚や肉を使えば料理は簡単です。
魚、肉そのものがおいしいのですから、料理人はなるべくその強いうまみを逃がさないように料理するわけです。良い肉は、塩とこしょうだけで味つけして鉄板で焼いてそのしたたる肉汁と共に食べるのが一番うまいのです。玉葱やニラなども、野菜とはいえ、その味とうまみは強烈です。ためしに、玉葱の入ったみそ汁と、そうでないみそ汁を作って下さい。全然味が違うのがわかるとおもいます。
つまり、野菜の淡い味をいかに引き出して食するか、という繊細な世界には、肉・魚の使用はそぐわないのです。肉や魚を使ってしまうと、あくまでメインは肉や魚であり、野菜はその味を引き立てるための添え物になってしまうのです。逆にいえば、肉や魚、玉葱の強い味を使わずに、野菜の味を主役にする精進料理こそ料理人の腕が試される、というわけです。
○ルール2 素材の持ち味を生かす
○ルール3 季節の物を彩りよく使う
濃い味付けをして醤油や砂糖の味に野菜を染めてしまうのではなく、野菜そのものの淡い味をいかに引き出して生かすか、という事が肝心です。
それには、季節ごとに旬になる野菜をなるべく使うことが大事です。
今はどんな野菜でも一年中人工栽培で出回っています。しかし、やはり旬から外れたものは味も臭いもイマイチです。
逆に、旬の物は色も良く、味も豊かで、良い香りがします。しかもその上旬の野菜は値段が安い。盛りつけたときの美しさも格別です。
例えば、タケノコは春が旬です。タケノコとワカメをおいしく炊き合わせた「若竹煮」などは、やっぱり春の料理です。
また、松茸はやはり秋のもので、日本人ならば秋になると松茸ご飯を食べたくなるのです。
春先に松茸を、秋にタケノコを(高いお金をかけて)食べても、旬の料理にはとてもかなわないのです。
精進料理とは関係ないのですが、やはり日本人のDNAには、長い間染みこんだ移り変わる季節を愛でる心というのがあるのではないでしょうか。
その意味からも、ルール2と3はお互い関係しあっています。季節の旬の物を敏感に感じ取って使うことが、「ものの命を活かす」ことになるのです。
○ルール4 無駄を省く
いくらおいしい料理のためとはいえ、ジャンジャン生ゴミが出るような料理は精進料理とは言えません。
なるべく無駄を出さず、野菜を全て使い切ってこそ精進料理です。
例えばカブの煮物をするとしたら、その葉は細かく切ってみそ汁の青みに入れ、むいた皮は塩でもんでごま油を加えて漬物にする、といった具合に、献立の段階で無駄が出ないようにするのです。
或いは来客用のもてなし料理でしたら、おいしいところ(カブの煮物)は来客に出し、皮の部分の漬物や葉の青みは内輪のお昼に食べる、という具合にします。
また、もし昼作った筑前煮がたくさん余ってしまったら、豆腐を加えてダシで割って建長寺汁にする、といった具合です。
もちろんそのためにはある程度経験を積み、応用が効くようにならねばいけません。
○ルール5 工夫が大事
禅宗で珍重されている、40年以上前に記されたある精進料理の書物にこんな話が載っています。
「ある老師に仕えて典座役を任されていたとき、来客があった。その来客のために、いつもと違った変わり物料理を出そうと思い、小豆の煮汁で寒天を固めて 刺身に似せた物と、豆腐をつぶして片栗粉で固めてタレをぬったウナギの蒲焼きもどきを作って出した。すると老師に 『なんじゃこれは!馬鹿者!禅宗坊主が偽物をつくるとは何事だ!』 と大喝された。確かにこれは精進料理の邪道であると反省した」
なるほど、わざわざ刺身に似せたのはセンスが悪かったと思います。しかし、「邪道である」とまでいうのはどうでしょうか。
さきほど旬の野菜を使うことが大事だと強調しましたが、野菜はいつまでも新鮮なわけではありません。
当然日が経てば傷んでくるわけです。お寺では、檀家さんなどから「おーい、うちの畑で取れた胡瓜が余ったから持ってきたよー」なーんていう寄進物が結構あります。
それがたまたま同じ日にたくさんもらった場合などは、どうしても使い切れずに残ってしまうことがあります。そしていたんで柔らかくなってしまったような物は、旬とはいえ臭いも色も悪くなります。そんなとき、工夫して胡瓜をすり下ろして寒天で固めて酢醤油で食べればまたオツなものです。
同じように、たくさん豆腐をいただいたような時には、毎日毎日冷や奴ばかり出したのでは食べる方が飽きてしまいます。やはり、手間を掛けて食べる側が飽きないような工夫をしてこその「もてなしのこころ」です。先ほどの豆腐のウナギ蒲焼きもどきにしても、同じ事がいえると思います。
いろいろと工夫してその材料を使い切る、これこそ立派な精進のこころだと思います。
以上、5つのルールは便宜上5つに分けてありますが実際はお互いそれぞれ関連しあっています。ひとつが崩れれば他も成り立ちません。
この5つのルールを頭に入れて、次の実技に移りましょう。